竹中氏陣屋跡

 戦国時代の智略が飛び交う中で、豊臣秀吉の名軍師、竹中半兵衛重治とその一族の活躍には目を見張るものがありました。拠点であった陣屋跡には白壁の正門、がっしりとした石垣が残っており、一族の隆盛を物語っています。

禅幢寺

 永禄元年(1558)竹中氏が六千貫の領主となり、竹中半兵衛重治は父重元と共に菩提山に城を築きました。天正7年(1579)播州三木の陣において行年36歳の若さで病没した半兵衛重治の菩提を弔うために、その子重門がこの寺に墓を移しました。現存の本堂は重門の子、重常が寛文3年(1663)に建立したもの。

菩提山城跡

菩提山 401m
四等三角点
 竹中半兵衛氏の居城が構えられた、この菩提山は陣屋跡の西方にあります。山城は標高402mの山頂に、およそ南北260m、東西最大幅60mの広大な天嶮を利用している。菩提山登り口は、菩提寺に行く途中に白山神社入り口がありここが登り口。
 菩提山城は、永禄元年(1558)竹中氏が六千貫の領主となり、竹中半兵衛重治は父重元と共に菩提山に城を築きました。

菩提山城跡

菩提山登山口

 菩提山登り口は、菩提寺に行く途中に白山神社入り口がありここが登り口、階段を登り150mほど行くと白山神社の鳥居がある。鳥居をくぐってすぐに芭蕉の句碑がある。「此の山の 悲しさ告げる ところほり」とある。この奥に進むと立派な神社が建立されている。

白山神社

芭蕉の句碑

木階段の道

 白山神社時からなお石段を標高160m、距離160mほど登ると鉄塔に出てすぐに旧大手町との分岐に出る。

菩提山まで900m

木階段が続く

鉄塔

ここから菩提山城跡

大手曲輪(大手門)

切岸(人工的な断崖)

ここから菩提山城跡

堀切
 

三の曲輪

堀切

台所曲輪

菩提山城跡
菩提山城跡
南宮山・養老山の眺望
南宮山・養老山の眺望

この菩提山頂上は、伊吹山系を背後の堅守に得て、関ケ原に集中せざるをえない中山道、東海道、不破の関を見下ろす何人も見逃さない場所です。

背後は伊吹山系に囲まれた菩提山
背後は伊吹山系に囲まれた菩提山