戦国時代をしのぶ
    菩提山城跡(菩提山)

戦国時代をしのぶ
菩提山城跡(菩提山)

 戦国時代の智略が飛び交う中で、豊臣秀吉の名軍師、竹中半兵衛重治とその一族の活躍には目を見張るものがありました。拠点であった陣屋跡には白壁の正門、がっしりとした石垣が残っており、一族の隆盛を物語っています。

菩提山登山口

 菩提山登り口は、白山神社入り口がありここが登り口となる。階段を登り150mほど行くと白山神社の鳥居がある。

登山

白山神社鳥居

芭蕉の句碑

 鳥居をくぐると、すぐに芭蕉の句碑がある。「此の山の 悲しさ告げる ところほり」とある。この奥に進むと立派な神社が建立されている。

白山神社

木階段が続く

作業道を横断して

 白山神社時からなお石段を標高160m、距離160mほど登ると鉄塔に出てすぐに旧大手町との分岐に出る。

堅堀

 山腹に縦方向に掘った堀。竪堀を掘ることによって斜面を縦に仕切ることが出来るので、敵は横方向へ移動することが極めて難しくなります。

木階段の道

菩提山まで900m

切岸(人工的な断崖)

 切岸を過ぎて尾根を左に巻いて行くと腰曲輪に出る。山頂直下で広い曲輪となっている。

新緑が爽やか

腰曲輪

ここから菩提山城跡

堀切

三の曲輪

馬出

二の曲輪

台所曲輪

 三の曲輪から二の曲輪を通り台所曲輪から虎口に入り主郭に出る。

菩提山城跡
菩提山城跡
南宮山・養老山の眺望

 この菩提山頂上は、伊吹山系を背後の堅守に得て、関ケ原に集中せざるをえない中山道、東海道、不破の関を見下ろす何人も見逃さない場所です。

南宮山・養老山の眺望

 この菩提山頂上は、伊吹山系を背後の堅守に得て、関ケ原に集中せざるをえない中山道、東海道、不破の関を見下ろす何人も見逃さない場所です。

 

竹中氏陣屋跡・櫓門

 竹中半兵衛重治公没後嫡男の重門が菩提山城を廃して構えた陣屋の正門。門の西側に5408平米にわたる陣屋が形成されていた。

禅憧寺(竹中氏菩提寺)

 天正7年(1579)播州三木の陣において行年36歳の若さで病没した半兵衛重治の菩提を弔うために、その子重門がこの寺に墓を移しました。現存の本堂は重門の子、重常が寛文3年(1663)に建立したもの。

菁莪記念館(せいがきねんかん)

 岩手の旗本竹中氏は天保年間に道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導。明治になって菁莪義校、菁莪学校として発展しました。