小原城跡のある御嵩町東部の上之郷地区は、戸数30戸ほどの静かな山あいに位置し、比高約40m(標高299m)の山上を利用して築城されている。

小原城跡

 小原城主といわれる小倉織部についての詳細は明らかではないが、『御嵩町史』に記載のある『小里所在地記』によれば、天文二十一年(1552)、御嵩城主であった小栗信濃守が土岐郡の高山城を攻めたものの、最終的には武田晴信(信玄)の軍門に下り、このとき小倉織部も同時に信玄の幕下に属したと記されている。
 小原城跡を探訪ご、中山道謡坂から細久手まで探訪しました。

探訪日2020/01/20

白山神社鳥居

 小原城跡には白山神社の長いとても急峻な梯子のような石階段(転倒要注)を登り神社の拝殿に着く。

急峻な長い石段

白山神社拝殿

クマザサの中を登る

 白山神社拝殿裏のクマザサの茂りわずかに踏み跡があり尾根を目指して登る。尾根から左に曲がり進むとすぐに堀切がある。

尾根に上がる

堀切

 三段にわたる平坦地が設けられている。主郭の北側には西と東のそれぞれから続く帯曲輪がみられ、東側に開口部が造られている。さらにその東すぐのところに長さ約20m弱の竪堀が斜面に向かって延びている。

帯曲輪、直下には竪堀

堅堀

主郭の曲輪
 

主郭(299m三角点)

主郭部と腰曲輪を分かつ、高くはっきりした切岸です。

主郭場所の神武天王遥拝所

主郭からさらに北に延びる曲輪

主郭の北側には西と東のそれぞれから続く帯曲輪がある。

主郭の東側の帯曲輪

下山は主郭から南東に延びる帯曲輪を通る。

南に延びる急峻の下り

下山地は神社西50m位の場所

 

 江戸五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)のひとつ中山道。その中山道にある御嶽宿は江戸に向かう際、平野部と山間部の間にあり、数々の難所が続く山道への入り口です。隣の細久手宿までには風情のある石畳の道が今も残され、当時の趣が感じられる区間です。商家や本陣跡など見どころも多い御嶽宿から、細久手宿までの旧中山道をウオッチングしました。
※2020/01/20
 

御嵩宿から出発

商家竹屋(竹屋資料館)

寒念仏供養塔

 中山道を西から旅してきた者にとって、御嶽宿までの平坦な道のりから、牛の鼻欠け坂を越えて西洞地区を過ぎて山あいの登り坂が続きます。

牛の鼻欠け坂へ向かう

牛の鼻欠け坂

牛の鼻欠け坂の峠に

謡坂の石畳:ここから江戸に向かう旅人たちにとって、このあたりは急な坂道が続くため、自らを鼓舞するために歌いながら通ったことから「謡坂」の名がついたとのこと。
 耳神社:中山道沿いの岩山に建立された耳の病にご利益があると伝えられる
 小原城跡の山:白山神社から登り城跡探訪をする

石畳の謡坂

謡坂の石畳

 謡坂(うたうざか)、険しくつづく山道、道の上をおおうような多くの木々など謡坂の風景は今も当時の中山道の風情を色濃く残しています。

マリア像

石畳が続く坂道

石畳が終わり

竹林・以前はここに土蔵があった

安藤広重モデル地

 

ちきん宿があった場所

 江戸時代、浮世絵の世界はせた安藤広重代表作の木曽海道六十九次があり、御嶽宿で庶民の旅で多く利用された「木賃宿」作品のモデルとされた場所です。現在茅葺家屋が取り壊されてとても残念です。

8年前にはこんな建物がありました。

安藤廣重の“御嶽宿”の画はここが描かれた。

一里塚・(謡坂一本木)

 謡坂の峠を越えて行くと一里塚に着く。一般的には一里ごとに槙、十里毎に松を植えて旅人の里程を知らせる重要な塚。人呑の清水は和宮が通行の際、野点にこの水が用いられたといいます。

地蔵清水

一呑の清水

古い民家・案内所

 一呑の清水を過ぎると古民家があり風情を醸し出している。竹林を過ぎると唄清水がある。年中絶えることなくわきでる清水(現在飲用はできない)

竹林の道

唄清水

御殿場

 唄清水を過ぎると交差点にふれあいバス停がある。ここを直進して坂を登ると御殿場に着く。御殿場は高台(標高366.2m)にある。ここは、1861年第十四代将軍家茂にお輿入れして、江戸に向かった皇女和宮のために、特別に設けられた休憩所。

交差路を直進する

ふれあいバス停

[御殿場]
 江戸日本橋を起点として、京都まで六十九次の宿を持つ中山道。落合宿から今須宿の十六次が岐阜県にある。千姫をはじめ和宮など皇女や宮家たちがさまざまな思いを胸に通りし道で「姫街道」とも称されている。

 江戸日本橋を起点として、京都まで六十九次の宿を持つ中山道。落合宿から今須宿の十六次が岐阜県にある。千姫をはじめ和宮など皇女や宮家たちがさまざまな思いを胸に通りし道で「姫街道」とも称されている。

 

 江戸五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)のひとつ中山道。その中山道にある御嶽宿は江戸に向かう際、平野部と山間部の間にあり、数々の難所が続く山道への入り口です。隣の細久手宿までには風情のある石畳の道が今も残され、当時の趣が感じられる区間です。商家や本陣跡など見どころも多い御嶽宿から、細久手宿までの旧中山道をウオッチングしました。
※2020/01/20
 

鴨巣一里塚

 鴨の巣一里塚から山中の標高306m(標差71m)に向かって登る。その後アップダウンを繰り返して最高点標高402mから津橋県道交差点に向かう途中に秋葉坂三尊石窟がある。

一里塚から三尊石窟に向かう

秋葉坂三尊石窟

 

県道65号線出会い

 秋葉坂の三尊石窟から下り坂を下ると秋葉津橋県道65号に出会う。津橋交差点を過ぎていくとくじ場(宿場の人足たちのたまり場だった場所で、一説には仕事をくじで決めていたからこう呼ばれていたという
)、穴観音(馬頭観音)がある。

くじ場跡

穴観音

 

大黒屋

 尾州家のの本陣。大黒屋は安政六年(1859)の建築。江戸時代から営業を続けている旅籠で細久手宿の代表的存在。

開元院

 土岐頼元が尽力し、月泉和尚が室町時代に開いた名古刹。山門前の庭も見どころ。

庚申堂

 寛政の大火のあと、宿の厄除けとして再建された。方形瓦葺きの小さなお堂です。
大黒屋
大黒屋

奥之田一里塚

 江戸へ92里、京都へ42里という山中道の奥之田一里塚。高さ4m直径12mある。ここの一里塚は、ほぼ完全にもとの姿をとどめている。

弁財天の池

 山丘にありながらいつもみずをたたえている。池の中に弁財天の宮がある。天保7年(1836)に再建された祠。

 

弁財天の池:水を絶やすことなく初夏にはカキツバタが美しい花を咲かせています。