金山城は美濃国可児郡(現在の岐阜県可児市兼山)に存在した山城です。城跡は「美濃金山城跡」として、2013年に国の史跡に指定されています。

鳥峰城から金山城へ

 1565年、織田信長の家臣、森可成が城主となり鳥峰城が金山城と名前が変わりました。金山城で生まれた森成利「通称:森蘭丸」も城主となり15歳には安土城にいき、その後に信長とともに本能寺の変で亡くなりました。
 第一駐車場から桧道を通り主郭に登り、帰路は大堀切へ回り、つくも谷から駐車場に戻りました。
 美濃金山城跡のある蘭丸ふる里の森第一駐車場は、兼山小学校の北側で岐阜県可児市兼山1418地内です。

 
探訪日2019/12/20

 第一駐車場は、兼山小学校の北側にありトイレも併設されている。ここから石畳の大手道に入る。すぐに蘭丸広場との分岐となり左に折れて石畳階段を登る。

第一駐車場

大手道に入る

 樹林の中の石畳階段を九十九に登っていくと樹林が開けて東屋のある桜花の道と合流する。

石畳の階段を登る

樹林帯を抜ける

桜花の道との分岐

 桜の花道からひと登りすると駐車場のある出丸跡に着く。南側の御嵩町方面が一気に展望が広がり見張り場(出丸)として最適の場所です。

出丸跡が駐車場

出丸櫓跡の土の盛

出丸の南側石垣

出丸跡から南方の眺望
出丸跡から南方の眺望

 出丸跡から三の丸に登る。三の丸入口から三の丸内部を見ると左側の斜面はかなりの切岸になっている。礎石も確認できる。

出丸跡から三の丸へ

整備された道を三の丸へ

三の丸・礎石

 三ノ丸門跡の門の礎石が確認できる。三ノ丸跡を過ぎると水の手門があり、谷を降りていくと水の手があったという。水の手は断崖上にある。二の丸へは奥のもう一段上が本丸の周囲に築かれた腰曲輪。

三の丸

三の丸門跡右側に破城の跡

水の手門跡

石段を二の丸へ

二の丸跡

大手桝形

 大手桝形を越えて腰曲輪へ向かう。正面は、本丸の南側直下にあたる、南腰曲輪。周囲を高土塁と石垣で固めたられている。ここを登りあがると本丸に着く。

天守台西南隅石

天守台西南隅石

本丸に到着

金山城跡から北方を見下ろす
金山城跡から北方を見下ろす

 本丸に建てられている美濃金山城 説明板。城主 森氏一族の相次ぐ討死の歴史を経て、最後は六男 忠政は家康に仕え信州海津城主として加増転封、金山城は犬山城主 石川氏の所領となり、本城である犬山城の増築のため金山城は廃され天守諸櫓等一切を取り壊して木曽川を下って運ばれたという。

本丸跡に残る礎石跡

本丸虎口正面石垣

本丸跡に残る礎石跡

 本丸を東側にへ出て、搦手門へ回る。搦手門礎石が残っている。東曲輪跡を通り集水桝跡みて二の丸を通り蘭丸広場に行く。

搦手道へ

本丸の東側に搦手門跡

天守台の真下の石垣

集水桝跡(井戸)

南腰曲輪を通る

堀切の小径を通て駐車場へ

蘭丸広場

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