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 汾陽寺山の麓(谷口の里)に春日局ゆかりの地があることを知り、古を偲んで汾陽寺山に登るのも楽しい。

 お局道


 法泉寺から汾陽寺までの旧道は、お局道といわれ、春日局が歩いたといわれています。春日局は汾陽寺を再興した斎藤利国の縁続きで、春日局の父斎藤利三で、この縁で局は汾陽寺をしばしば参拝したといわれています。いつしかこの道が「お局道」といわれるようになった。

 

祥雲山 法泉寺・臨済宗妙心寺派

 開基は公卿一条関白兼良の娘 利貞尼(細姫)。美濃の守護土岐氏の執権斎藤に身を寄せ細姫は斎藤四郎利国と結ばれた。明応四年利国が江州(滋賀県)で討ち死したので妻の細姫は世をはかなみ夫の菩提を弔うため剃髪得度し、名を利貞尼と改め草庵を結んだ。これが法泉寺のはじまり。

春日局と法泉寺

 春日局の大祖母にあたる加納城主、斎藤利国の妻、利貞尼「細姫」の開基とする法泉寺があり春日局にとってもゆかりの深い土地であった。

 

春日局お屋敷跡

春日局ゆかりの井戸

春日局お屋敷跡

このあたり一帯・今は畑
 関ヶ原合戦の時、春日局の夫、稲葉正成は豊臣秀吉の直臣となり文禄の役のあと小早川秀秋の家臣となった正成は政治的、軍事的手腕は相当なものだったらしく、小早川家では五万石を受け関ヶ原合戦では秀秋の東軍の寝返りに力があったといわれるが政道についてたびたび秀秋に諫言したが聞きいれなかったため、慶長六年、夫正成は春日局と子供を連れて弟の、「改田孫六清常」の住む美濃国「谷口の里」に閑居した

 
春日局が汾陽寺に参拝した道(お局道)

猪之洞神明社

お局道を行く

武芸川町谷口地内

 「お局道」田園の広がる小川の辺を汾陽寺に向かう・川面にはクレソンが自生している。

遠望に汾陽寺山

小川沿いを1㎞ほど北進

汾陽寺の石柱

汾陽寺へ石畳の参道

 汾陽寺は嘉吉元年(1441年)に斎藤利永を開基。春日局は汾陽寺を再興した斎藤利国の縁続きで、春日局の父斎藤利三で、この縁で局は汾陽寺をしばしば参拝したといわれています。いつしかこの道がお局道といわれるようなる。

山門

汾陽寺本堂 

汾陽寺山への登山口

 汾陽寺西側の登山口から登り汾陽寺山に向かう。

社が祀られている

南尾根に取り付く

西尾根に取り付く

遠望に権現山

汾陽寺山(519.5m)

 谷口の里

 「谷口の里」は山に囲まれ、里を縦断するように武儀川が流れる、風光明媚な田舎の風景が広がる。今回ゆかりの深い「お局道」を歩き、山登りとセットで歴史を振り返ることもできた。